裏ビデオデーターの女優別人気ランキングを見ると、いまだに根強い人気なのが星野ひかる嬢。
90年H舎のティファニーレーベル「処女宮第2章」でデビュー。爆発的なヒット&話題となった第1弾の「処女宮」主演が葉山レイコですから、メーカー的にも、そうとう気合が入っていたコだと思います。しかしながら、彼女は一般誌へのAVパブリシティ記事の掲載が全てNG。ビデオ誌や問屋誌のみOKというコ。当時は(今もですが)親バレを嫌って、こういうAVギャルが多い時代でした。
特に星野嬢に関しては露出条件(掲載するという意味)が厳しく、さらに活動期間が短く、ワタクシ的には取材はおろか1回も媒体で取り上げることができなかった(ゆえに記憶に残る)女のコです。人気の割にはヌードグラビアなども少なく、インタビュー記事も見た記憶がありません。しかし、取材するチャンスはありました。
89年から90年初頭は、最もアダルトビデオ業界が盛り上っていた頃で、各媒体がその年度の最も功績があったAV女優を表彰するAV大賞なる企画記事も多かった時代。ワタクシも当時は、こういう企画を随分と請け負っておりました。メーカー各社、問屋、専門誌編集長などに取材し、誰がその年のAVクィーンか?というテーマになったとき、90年下半期で名前が出てきたのが、星野ひかる、卑弥呼の2名。(桜樹ルイに関してはその年の上半期で受賞しているので除外。松坂季実子に関しては前年度受賞しているので除外)。
バブルが弾けたとはいえ、インタビュー取材&着衣撮影で賞金10万円&記念の盾という太っ腹な賞金が出る夕刊F誌の企画でした。(ひょっとすると星野ひかるを取材できるかもしれない)と、さっそく、彼女の所属事務所へ打診したのです。一般媒体はNGなのはわかっていましたが、脱ぎなし簡単なインタビューで10万円の賞金(ギャラ)は当時としても美味しい内容です。対応に出た女性マネージャーにアレコレ交渉しましたが、結局はダメ。「10万円は欲しいけど……彼女は一般紙にはでられません。賞金だけ貰うというのは?」先方も無理を承知の返答だったことを覚えております。
実は、もう一方の卑弥呼に関しても、まだ一般媒体に関しては掲載&取材NGの時期だったのです。売れっコ2名を欠いて、企画そのものが成立しないというピンチ。なんとかならないものか、と専属だったD映像に交渉。すると、M監督の鶴の一声で、「わかりました。今後は、オール媒体OKにいたしましょう!ナイスですねぇ。」と卑弥呼側が快諾してくれたのです。
「ちなみに、2位、次点は誰だったの? うん、誰?」
「あ、星野ひかるサンだったんですが……」
「ああ、あれは◎◎◎の◎◎◎だから。上品さがないね。で、3位は」
原稿には決してできないようなことをM監督に言われ、ここで誰の名前を出さなければいけないのかは、食いネェ食いネェ寿司食いネェの清水の次郎長・森の石松のくだりを知る人間ならわかるところです。
「さっ…3位はN・Mさんです」
「ああ、そう! 3位、う〜ん、惜しいねぇ〜 ワタクシ的にはね、これ完全1位ですよ」
「ええ、次あたりは…たぶん」
「そうでしょう、そうでしょう。世間の皆様にもMちゃん素晴らしさがわかるでしょう」
「は、はい……」
受賞の盾と賞金10万円を持って、代々木上原のD映像本社(デカい一軒家でした)に到着すると、本人よりも満面の笑みで向かえてくれたのはM監督の弟子であるH監督。
「受賞シーンを撮影してもイイですか」とコメント取材を撮影。
「あの、それビデオに使うんですか?」
「いや、記念です、記念。僕の記念!」と言っていたH監督ですか、
数週間後に発売された彼女の新作AVの冒頭に、しっかりと使われておりました
(作品名は忘れましたが)。
つまり、ワタクシは人気AV女優・卑弥呼と競演歴のある男、ということになります(笑)。
もはや、星野ひかるも卑弥呼も、ともに30代。
現在、どんな女性になっているのか……少し興味があるところです。
⇒⇒⇒No1美少女、星野ひかるの全ムービー!!⇒⇒⇒
しま☆はるよし
89年に男性週刊誌『週刊宝石』の契約ライターとなり、同誌の伝説的
企画「あなたのオッパイ見せてください!」などのグラビア制作に携わる。
89年当初からAV担当となりAV女優インタビュー取材やヌードグラビアの
撮影コーディネートを手がける。現在も男性週刊誌、写真週刊誌、夕刊紙、
スポーツ紙などで幅広く取材&執筆中。
仕事に対するポリシーは『ヌードからフードまで』。