AV黄金時代の幕開けは89年でないかと思います。この年、ビデオ業界だけでなく後々の全アダルト業界に大いなる影響を及ぼすひとりのAV女優がデビューいたします。
それが、松坂季実子嬢でしょう。
現在、大きく豊かな乳房を表現する言葉として『巨乳』が一般的に使われていますが、これは彼女に対して使われたのが最初。写真週刊誌F誌に、彼女が始めて紹介されたときのタイトルでした。これは巨乳という言葉の発祥を調べたことがありますので、間違いないでしょう。(一説には同時期に洋ピンの紹介で先に使われていた説もあり)。当時のF誌では、毎週のように巨乳、巨乳と彼女を特集しておりました。
業界的背景で言えば、クリスタル映像から村西監督が黒木香女史を引き連れダイヤモンド映像(以下D映像)を設立。しかし、黒木女史の作品はD映像からはリリースされず、当時の専属女優はイマイチ売れない坂上真琴ぐらい。鳴る物入りでスタートしたD映像でしたが、設立初期は不調だったのです。そこへ救世主的に登場したのが、松坂季実子嬢だったといっても良いでしょう。
当時、彼女をグラビア撮影やインタビューしたことがありますが、ひじょ〜に性格が良く、いつも静に笑っている感じ。頭脳明晰で、受け答えもバッチリ。非常にタレント性もあるコでした。その反面、撮影の合間には物静かに文庫本を読んでいるような女性でした。あまりにも大きな胸が自分ではコンプレックスになっていてAV業界に入る前までは、精神的に開放された性行為をしたことがなかったと言っていたのを思い出します。たしかに、初期の作品を見るとわかるのですが性体験はそれほど多くなかったはずです。常にやる気のあるコで、撮影後に「先日の撮影、どうもありがとうございました」とワザワザお礼状をいただき恐縮した経験もあります(今も記念にとってあります・笑)。
伝説の巨乳を生で見た感想は、ラグビーボールが2個、胸前に唐突に存在する感じで、その圧倒的な存在感には、ある種の神々しさがあり、あまりエロい気持ちにはなれませんでした。それでも、好奇心といいましょうか、スケベ心といいましょうか(笑)、「季実ちゃん……ちょっと持ち上げさせてもらっていい?」と、お願いしたことがあります。すると、即答で「はい、いいですよ」(本当に性格が良かった)と胸をせり出す。その乳房はズッシリと詰った感じで、ワタクシは「ああ、これは肩凝るでしょう」と、思わず言ってしまった記憶があります。「ええ、凄いんですよ」「じゃあ、揉んであげようか」と胸ではなく、肩を揉んで、天下の松坂季実子を気持ちよがらせた経験があります。
とにかく、本当にいいコだったのです。
その後、CDデビューなどもして、徐々にタレント化していくのか、と思われた彼女ですが、90年に引退。引退間際には、全くやる気がなかったといいます。引退作「セクシャルゲーム」を見ると、確かにそのやる気のなさがモロにわかります。一説ではマスコミ関係の彼氏が出来て、AV業界に巣食う魑魅魍魎たちの悪行を言い続けられ、嫌悪を抱いて逃げるように業界去ったとも言われております。お相手が男性週刊誌記者と噂されたこともあり、ありえないことにワタクシにも一時疑いがかかりました。そうだったら、本当に良かったんだけどねぇ(笑)。
噂では、AV引退後はすっかり痩せてしまい伝説の巨乳は、もはや存在しないそうです。知り合いでも、誰もそのスラリとした女性が松坂季実子だとは気付かないというお話です。彼女は現在、35歳。きっと良い妻、良い母になっている、と思います。幸せであってくれれば良いなぁ、と願っております。
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しま☆はるよし
89年に男性週刊誌『週刊宝石』の契約ライターとなり、同誌の伝説的
企画「あなたのオッパイ見せてください!」などのグラビア制作に携わる。
89年当初からAV担当となりAV女優インタビュー取材やヌードグラビアの
撮影コーディネートを手がける。現在も男性週刊誌、写真週刊誌、夕刊紙、
スポーツ紙などで幅広く取材&執筆中。
仕事に対するポリシーは『ヌードからフードまで』。