あれは高校1年の頃ですから……かれこれ20年以上も前の話になります。
ワタクシたちが若かった時代のあらゆる経験というのは、先導する悪い(良い)先輩がいて初めて可能になるものでした。
当時、紅顔の美少年であったワタクシにも、学年でいえば1コ、年齢で言えば2コ上に、とても悪い(良い)先輩であるY氏がおりました。
既に1回ダブって(留年して)おり、下手をすれば我々と同級生になってしまいそうなぐらい勉強をしない(できない)先輩。
とにかく遊んでばかりという、ドラマに出てきそうな典型的な裕福な家庭のご子息(ドラ息子)でした。
そういう各種の経験というのは、親が監視&干渉しない離れの部屋が必要であり、Y氏もそういう(恵まれた)環境で生活しており、後輩たちを誘っては(氏の場合は同級生も後輩になる立場でしたので)、日夜、悪い遊びをしておりました。
学校帰りに、その部屋にいけば煙草も酒も自由に楽しめたわけです。
ある日、いつものように部屋に遊びにいくとソニーのベーター機を前にガチャガチャとビデオテープを挿入し、「いいもの見せてやるよ」と言い放つY氏。
まだ自分の部屋に専用のビデオデッキを持っている人間など少数だった頃です。
Y先輩が見せてくれたのは、もはや伝説、若いユーザーは知らないであろう裏ビデオの先駆的作品である『洗濯屋ケンちゃん』でした。
冒頭はたしか延々と続くバイブオナシーン。それが終了すると、ケンちゃん登場。
「お〜くさん!」
「あらぁ、ケンちゃん!」
という台詞を今でも覚えております。
既に中学1年のときの臨海学校に、同級生のK君が「オヤジの書斎から黙ってもってきた」という名も無きノーカット洋ピンで印刷上での女性局部は見たことがありました。
これはこれで衝撃的であり、その日の夕食を食べられなくなる同部屋の生徒が続出し、先生から「どうした? みんな体調悪いのか?」と心配され、理由を言えずに困った経験があります。
まだ女性の局部というものに、美しき幻想を抱いていた少年時代です。
まさか、あんなグロテスクな形状だとは……夢にも思わなかったのです。
そして、初裏ビデオ体験は、それから3年後ーー。
肉体的にも大人になり、自慰行為もいつしか覚え、ホットドックプレスのSEX特集を読みながら(高校に入ったら童貞喪失だ!高校2年の夏までには!)と決意を固めていた睾丸の美少年にとっても初めての裏ビデオというのは、想像以上のディープインパクトだったのです。
その日のうちに、『コンバット』 『極悪非道のホテトルあらし』など、いまだに名作として語り継がれる作品を生唾を飲み込みながら鑑賞した記憶がございます。
美少年の下半身は勃起などという現象はとうに超越して、カウパー氏腺液が学生ズボンにシミを作ってしまうほどでございました。
その後も、新たな作品を入手すると「いいのが入ったぜ」と誘ってくれたY氏。
現在、こんな仕事をするとは、当時は想像だにしておりませんでしたが、振りかえってみれば、この先輩がワタクシのエロビデオ経験にとって重要なキーマンだったことは間違いありません。
もはや、厚顔の微中年になってしまった今。
あの頃のように、感動的ですらあり喉から心臓が出るほどの性的興奮を憶える裏作品に出会いたいと思うのは、どだい無理な願いなのでしょうか。
しま☆はるよし
89年に男性週刊誌『週刊宝石』の契約ライターとなり、同誌の伝説的
企画「あなたのオッパイ見せてください!」などのグラビア制作に携わる。
89年当初からAV担当となりAV女優インタビュー取材やヌードグラビアの
撮影コーディネートを手がける。現在も男性週刊誌、写真週刊誌、夕刊紙、
スポーツ紙などで幅広く取材&執筆中。
仕事に対するポリシーは『ヌードからフードまで』。